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東京高等裁判所 平成12年(行ケ)82号 判決 2000年10月23日

原告

アース製薬株式会社

代表者代表取締役

【A】

訴訟代理人弁理士

【B】

【C】

【D】

被告

特許庁長官【E】

指定代理人

【F】

【G】

【H】

【I】

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が平成11年審判第11554号事件について平成11年12月24日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文と同旨

第2当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、平成2年7月12日、名称を「揮散性薬剤の拡散方法及びそれに用いる拡散用ファン」(その後「エンペントリンの拡散・殺虫方法」と訂正)とする発明につき特許出願をした(特願平2-182754号)が、平成11年6月7日に拒絶査定を受けたので、同年7月22日、これに対する不服の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を平成11年審判第11554号事件として審理した上、平成11年12月24日に「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は平成12年2月7日原告に送達された。

2  本件明細書の特許請求の範囲の請求項1に記載された発明(以下「本願発明」という。)の要旨

エンペンスリンをファンに保持させ、駆動手段により該ファンを回転させることにより、エンペンスリンを気中に拡散させることを特徴とするエンペンスリンの拡散・殺虫方法。

3  審決の理由

審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願発明が、実願昭60-134970号(実開昭62-42836号)のマイクロフィルム(甲第7号証、以下「引用例」という。)に記載された発明(以下「引用例発明」という。)及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとした。

第3原告主張の審決取消事由

審決の理由中、本願発明の要旨の認定(審決書2頁3行目~14行目)及び引用例の記載事項をそのまま認定した部分(同2頁16行目~4頁6行目)は認める。

審決は、引用例発明の認定の誤りに基づいて、本願発明と引用例発明との一致点の認定を誤り(取消事由1)、また、本願発明の奏する顕著な効果を看過した(取消事由2)結果、本願発明が、引用例発明及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明することができたとの誤った結論に至ったものであるから、違法として取り消されるべきである。

1  取消事由1(一致点の認定の誤り)

審決は、引用例には芳香剤を気中に拡散させる芳香剤の拡散方法が記載されていると認定する(審決書4頁7行目~11行目)が、引用例にあるのは「芳香剤の発散」に関する記載だけであり、この「発散」とは芳香剤が回転部分から空気中へ出ることをいうのであって、芳香剤を空気中に「拡散」させるという記載はない。したがって、芳香剤を気中に「拡散」させる芳香剤の拡散方法が引用例に記載されているとの審決の認定は誤りというべきである。

また、審決は、特開昭63-60901号公報(甲第8号証)、実願昭62-150876号(実開昭64-55242号)のマイクロフィルム(甲第9号証)、特開昭62-163965号公報(甲第10号証)(以下、これらを総称して「周知例」という。)を挙げて、「エンペンスリンを自然拡散により通常の使用状態で気中に拡散させる拡散・殺虫方法も、本願の出願前に周知の方法である。」(審決書6頁8行目~11行目)と認定しているが、これら3件の周知例には、「常温揮散性薬剤」とか「揮散」とかの記載はあるものの、「拡散」に関しては何の記載もない。審決は「揮散」と「拡散」が別の技術事項であるにもかかわらず両者が同一であると誤認しており、上記認定も誤りというべきである。

また、上記周知例に記載の防虫剤は、いずれも衣類用防虫剤が主で、狭い衣装箱や洋服タンスに入れて使用するものであるのに対し、本願発明は、空気中に「揮散」させた後、その「揮散」させた薬剤を空気中に広く「拡散」させるものであり、両者は技術領域を異にしている。したがって、本願発明が引用例発明及び周知技術から容易に想到し得るものであるとした判断は誤りである。

2  取消事由2(顕著な効果の看過)

審決は、本願発明の奏する効果は引用例発明及び周知技術から予測できる範囲のものであり格別のものではない(審決書7頁10行目~12行目)とするが、これは本願発明の顕著な効果を看過するものである。

すなわち、本願発明は、エンペンスリンをファンに保持させることにより、その拡散量を著しく大きくすることができ、このため、より広い気中に効率よく使用することができる。また、拡散効率がよいので、より小型の送風機を用いて行うことができ、通常の居室では乾電池を電源とする送風機でこれを拡散させることができる。

また、本件明細書の実施例2において、本願発明の方法を用いた場合のKT90(供試虫数の90%がノックダウンするに要する時間)の値は、エンペンスリンを含む板状体にファンからの風を当てた比較例におけるKT90の値の約1/2であり、また板状体を単に吊り下げた対照例におけるKT90の値の1/8とされている。すなわち、本願発明では、比較例よりも2倍、対象例よりも8倍早く効くという効果の差があり、一般に発明の評価では効果が10%とか20%向上すると顕著な効果で予測できないとされていることに照らしても、本願発明が顕著な効果を奏するものであることは明らかである。

また、本願発明の顕著な効果は、実験報告書(甲第11、第14号証)からも明らかである。すなわち、エンペンスリンを用いて、自然拡散したときのKT50(供試虫数の50%がノックダウンするに要する時間)の値は、供試昆虫位置を容器の上部にした場合に607分、同下部にした場合に301分であるのに対し、ファンを回転させた場合のKT50の値は、同上部が32分、同下部が31分と著しく(約10~19倍)短くなっている。ところが、エンペンスリンに代えてα-ピネンやDDVDを用いた場合には、α-ピネンで約5倍、DDVDで約2倍の短縮効果しか得られず、エンペンスリンに特有の顕著な拡散効果の改善が得られていることは明らかである。

以上のとおり、本願発明の奏する効果は顕著であって、これを引用例発明及び周知技術から予測できる範囲のものにすぎないとした審決の判断は誤りである。

第4被告の反論

審決の認定判断は正当であり、原告主張の取消事由は理由がない。

1  取消事由1(一致点の認定の誤り)について

原告は、引用例には「拡散」及び「芳香剤の拡散方法」が記載されていないと主張するが、「拡散」とは、「濃度分布の一様でない物質が、時間と共に一様な濃度分布に近づく現象」(乙第1号証、広辞苑第3版)、「気体分子または溶相中の成分が高濃度の領域から低濃度の領域に移動して、ついにはその全領域に均一に行きわたり、場所による濃度差がなくなる現象」(乙第2号証、化学大辞典2)をいうのであり、このような「拡散」の定義からして、引用例の「ファンを回転させ、芳香剤表面の蒸発芳香空気を、放散させる」(明細書1頁18行目~19行目)及び「芳香剤の発散は徐々に行われ、回転時の発散は助長され」(同4頁6行目~7行目)との記載は、蒸発によって気体となった芳香剤を含む空気が放置しておけば自然に徐々に発散していき、ファンが回転したときにはその発散が助長され、結果的に高濃度に芳香剤を含む空気がそれを含まない領域あるいは低濃度の領域に散らばることであるから、「拡散」に当たるものである。また、原告は、周知例にも「拡散」の記載がないと主張するが、周知例に記載の「揮散性薬剤」は、常温下あるいは加熱下で徐々に放散したり逸散するのであるから、「拡散」の定義からして、それによって薬効が発現したり消失したりすることが明らかである。

以上のとおり、引用例記載の芳香剤や周知例記載の防虫剤、殺虫剤、芳香剤は、いずれも蒸発ないし揮散した上、本願発明のエンペンスリンが室内に広がる過程と同じ現象によって拡散するものであるから、原告の主張は誤りである。そして、上記認定に基づき、本願発明は引用例発明及び周知例から容易に想到することができるとした審決の判断にも誤りはないというべきである。

2  取消事由2(顕著な効果の看過)について

原告は、本願発明の顕著な効果は当業者が容易に予測できないものであると主張するが、常温常圧下で揮散することが周知であるエンペンスリンに対して、引用例発明のような技術手段を採用し、モーターにて回転させるファン等の回転部分に、エンペンスリンを含有・貼張・取着して強制拡散させれば、自然状態で徐々に拡散するよりも大きな拡散量が得られるであろうことは、当業者が容易に予測できる範囲のものである。

原告は、本願発明が顕著な効果を有するものであることは実験報告書(甲第11、第14号証)からも明らかであると主張するが、比較例で用いられたα-ピネン及びDDVDは、その蒸気圧がエンペンスリンに比べ極めて高く(α-ピネンで数千倍、DDVDでも150倍)、上記実験結果の数値の差はこれに基づくものである。しかも、上記実験は密閉系で行われているにもかかわらず、各薬剤の飽和濃度はどのくらいか、各薬剤の供試昆虫に対する有効濃度はどの程度かについて一切考慮せずに、単に各薬剤1gを当該密閉系で作用させているにすぎないから、異なる薬剤間でのファンの効果の差を論ずることはできない。すなわち、薬剤が異なれば、蒸気圧の大きさも殺虫効力を奏する有効濃度も相違するのであるから、元来自然拡散しやすく低い有効濃度でも殺虫効力のある薬剤は、ファンを回転させなくても、KT50の値が小さく出るため、ファンを回転させた場合の短縮効果は小さいのに対し、元来自然拡散しにくい薬剤の場合にファンを使用する効果が大きくKT50の値に反映することになるのは自明のことである。原告の主張する実験結果は、この自明のことを確認したにすぎない。

なお、原告は、比較例、対照例と比較しての2倍~8倍の即効性をもって顕著な効果であると主張するが、比較すべき対象を取り違えている。すなわち、引用例発明も本願発明も、ともに薬剤を保持させたファンを回転させることによって薬剤を気中に拡散させる拡散方法に関するものであるのに、原告は、このような拡散方法を採用しなかった場合を比較例及び対照例として対比しているのであって、本願発明の顕著な効果の主張としては意味がない。

第5当裁判所の判断

1  取消事由1(一致点の認定の誤り)について

原告は、引用例(甲第7号証)には「拡散」及び「芳香剤の拡散方法」が記載されていないと主張するところ、この主張は、引用例にいう「発散」ないし「放散」は、芳香剤が回転部分から空気中へ出ることを指すにとどまり、これが周辺に行き渡ること(すなわち「拡散」)までは含まないとの解釈を前提としていると解される。

確かに、「拡散」の概念については、「濃度分布の一様でない物質が、時間と共に一様な濃度分布に近づく現象」(乙第1号証、広辞苑第3版419頁)、「気体分子または溶相中の成分が高濃度の領域から低濃度の領域に移動して、ついにはその全領域に均一に行きわたり、場所による濃度差がなくなる現象」(乙第2号証、化学大辞典2第328頁)を指すのが一般であると認められ、本件明細書の解釈上も別異に解すべき理由はない。しかし、引用例(甲第7号証)の「<従来の技術>本願考案者の出願に係る実願昭58-61202号は、太陽電池を用いてファンを回転させ、芳香剤表面の蒸発芳香空気を、放散させるというものであった。」(明細書1頁16行目~20行目)との記載からすると、ここでいう「放散」が、蒸発した後の「蒸発芳香空気」を対象としていることが明らかであるから、上記認定の意味での「拡散」の概念で記載されていることは当然というべきである。よって、引用例に「拡散」の概念が記載されていないとの原告の上記主張は理由がない。

次に、原告は、周知例(甲第8~第10号証)においても「拡散」の記載がないと主張する。しかし、甲第8~第10号証によれば、周知例には、エンペンスリンの常温揮散性に着目して、これを防虫剤に用いる方法が記載されていることが認められるところ、エンペンスリンが防虫剤として防虫効果を発揮するためには、単に「揮散」しただけでは足りず、有効成分が防虫効果を期待する空間に「拡散」する必要があることは当然の事理であるから、周知例を根拠として、エンペンスリンの自然拡散を周知の方法であるとした審決の認定に誤りはないというべきである。なお、本件明細書の〔従来の技術〕欄にも、「従来、揮散性薬剤を所定の場所に拡散させるに当っては、ほとんどが自然拡散によっているが・・・」(甲第2号証の明細書2頁3行目~4行目)と記載されており、揮散性薬剤すなわちエンペンスリンの自然拡散が従来技術であることを原告自身も明らかにしているところである。

また、原告は、周知例は衣装箱や洋服ダンスに使用する防虫剤であって、本願発明とは技術分野が異なると主張するが、少なくとも、甲第8号証及び甲第10号証記載の発明に関しては、その使用が衣装箱や洋服ダンスに限定されるものではない上、たとえ衣装箱等の狭い空間での使用を想定したものであっても、エンペンスリンの拡散方法という点で基本的に共通する技術というべきであるから、いずれにせよ、技術分野の相違をいう原告の上記主張は失当である。

そして、以上のほか、引用例発明に、周知の殺虫剤であるエンペンスリンを採用して本願発明のような構成を想到するに格別の困難性があるとは認められないから、この点について容易相当性を認めた審決の判断に誤りはないというべきである。

2  取消事由2(顕著な効果の看過)について

原告は、本願発明の効果として、まず、エンペンスリンの拡散量を著しく大きくし、広い気中に効率よく使用することができる点のほか、拡散効率がよいので小型の送風機を用いて行うことができる点を主張する。しかし、常温常圧下で揮散することが周知であるエンペンスリンに対して、引用例発明のような技術手段を採用し、ファンの回転部分に、エンペンスリンを含有・貼張・取着して強制拡散させれば、自然状態で徐々に拡散するよりも大きなエンペンスリンの拡散量が得られるであろうこと、したがって、その拡散効率もよくなるであろうことは、当業者が容易に予測できる範囲のものというべきであって、上記の効果をもって、本願発明に特有の顕著な効果ということはできない。

この点について、原告は、本件明細書の実施例2において、本願発明の方法によった場合のKT90の値に示される即効性が、比較例の約2倍、対照例の8倍であったことを顕著な効果として主張するが、上記比較例は、薬剤を練り込んだ樹脂成形物に対しファンの回転送風により空気を当てることによって薬剤を気中に拡散させる拡散方法で試験したものであり、また、上記対照例は、薬剤を保持したファンを空間中央に吊り下げただけの方法(すなわち自然拡散)で試験したものであって、いずれもファンに薬剤を保持させてファンを回転させる引用例発明及び本願発明とは拡散方法が全く異なるから、そもそも顕著な効果を対比すべき前提を欠き、主張自体失当である。

次に、原告は、実験報告書(甲第11、第14号証)に基づく顕著な効果を主張するが、まず、エンペンスリンに代えて用いられた薬剤であるα-ピネンに関しては、その蒸気圧がエンペンスリンに比べて3オーダーも高く、原告自身が「実用上では揮散を抑えてより長時間もつようすることが必要であって、回転するファン等を用いる必要は全くない。」(甲第13号証、審判請求理由補充書7頁17行目~19行目)と評価している薬剤であるから、そのような揮散特性を有するα-ピネンを用いて、自ら必要性が皆無であると自認する本願発明の方法を用いて比較例とし、その結果の対比において本願発明に相対的な有効性が見られるとしても、本願発明に特有の顕著な効果を基礎づけることはできないというべきである。

また、DDVDを用いた実験に関しても、同薬剤の蒸気圧はα-ピネンよりはエンペンスリンの蒸気圧に近いとはいえ、約150倍もの差があることは甲第16、第17号証によって認められるところである上、上記実験は、各薬剤の飽和濃度や、各薬剤の供試昆虫に対する有効濃度について考慮することなく、単に各薬剤1gを密閉系で作用させたときのKT50の値を求めたにすぎないから、その実験結果に基づいて、異なる薬剤間でのファンの効果の差を論ずることはできないというべきである。

以上のとおり、本願発明が奏する顕著な効果を審決が看過したとの原告の主張も理由がない。

3  以上のとおり、原告主張の審決取消事由は理由がなく、他に審決を取り消すべき瑕疵は見当たらない。

よって、原告の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 篠原勝美 裁判官 石原直樹 裁判官 宮坂昌利)

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